

北陸電気工事株式会社 七尾支店
配電部 能登工事所
※内容は2025年3月時点のものです
2024 年 1 月 1 日 16 時 10 分、能登半島地震が発生、地震の規模は M7.6、最大震度 7 を観測しました。
大宮さんは、ご家族とともに輪島のご実家で被災しましたが、その 2 週間後には電気工事士として配電設備の復旧工事に加わり、そして今も、被災された地域の皆さんのため、懸命に能登地域の復興に尽力されています。
私の父親は、半田ごてを使って電気回路を作る趣味を持っていました。そんな父親の姿を側で見ながら、電気には熱を発生させたり、部屋を明るくしたり、物を動かすことができたりと、目には見えないけど、凄い力があるなと思うようになったことが、電気を好きになるきっかけでした。
入学した高校には電気科がなかったので、電子機械科で電子の勉強をしましたが、電気が一番という気持ちは変わることはありませんでした。そして、電気は生活に欠かすことができない、生活を支えるものだからこそ、一生の仕事にしたいと思い、電気の知識や資格がないままでしたが、電気の仕事がしたい一心で、北陸電工に就職しました。
最初は第二種電気工事士の資格取得を目指すことになりましたが、電気の知識がなかったことと、入社後の配属先が第二種電気工事士の作業範囲である屋内配線ではなく、屋外配線の電気工事を行う配電部門だったため、第二種電気工事士の資格を持っている同期の社員に相談しながら、社内の研修も活用して受験勉強をしました。技能試験については、受験予定者が参加する社内の勉強会で、作業の基本から、しっかりと教えてもらえたおかげで、第二種電気工事士試験、第一種電気工事士試験とも、スムーズに合格することができました。
私は、正月の顔合わせのため、家族を引き連れ、輪島市内にある実家にいました。
大きな揺れは 2 回あって、最初の揺れで家が倒壊することや停電することはありませんでしたが、次の揺れは強く、仕事柄、この強さでは配電設備が損傷して停電してしまうと直感しました。揺れが収まり、程なく、嫌な予感は的中し、停電になりました。
まずは家族の安全確保が最優先で、すぐに建物から外へ避難しました。周りを見渡すと電柱は大きく傾いていて、それを見た瞬間、「復旧工事に行かなければ」という気持ちが強く湧き上がりました。でも、目の前では当時小学生と未就学の子どもたちが怖くて震えている。電気工事士としての使命感と、親としてしっかり家族を守ること、この二つの思いを天秤にかけるのは、本当に辛かったです。
家族は、金沢の親戚の家へ避難してもらい、私の父親と私が輪島に残りました。ただ、早く復旧活動を始めたいという思いとは裏腹に、通行止めになっている道路が多く、思うように動けない、もどかしい状況が続きました。
そんな中、私が電気の仕事をしていることを知っている近所の皆さんや親戚から、「いつになったら電気が使えるようになるのか?」と頻繁に聞かれるようになりました。当時は本当に大変な状況でしたので、皆さん、何かしらの希望が欲しかったのだと思います。この経験で「電気は生活には欠かせない大切なもの」と心の底から理解できるようになりました。
震災から二週間が経ち、通行止めの解除などで出社できる環境となりましたので、そこから復旧工事のチームに加わりました。
具体的には、使えなくなった電柱を取り替えていく作業です。1 チーム 4 名から 5 名で現場に向かい、北陸電力送配電の担当者の方の指示に従って復旧作業をしていきます。新たな電柱を設置して配線したり、使えなくなった電柱を撤去したり、通電目標となる地域まで電気を送るための準備をしたりしています。また、電柱は、電力送配電会社が所有のもの、通信会社が所有のものとあり、臨機応変な対応が必要になります。
・チームリーダー(工事責任者)として現場を指揮する大宮さん
いつも以上に命の危険を意識する必要があるため、通常の作業とは違う配慮が必要です。
例えば、高所作業車を使用している時に、地震が発生すると、高所作業車は大きく揺れて恐怖を感じますし、より大きな揺れがくるかもしれないという恐怖が襲ってくるので、精神的にも厳しい状況になります。
また、山や崖での作業では、常に落石の発生を意識する必要がありますし、川の近くの作業では、土石流などを警戒するため、川の水位だけではなく、水の濁りにも気を配る必要があります。
私はチームリーダー(工事責任者)として、北陸電力送配電の担当者の方とも相談しながら作業の継続や中断を判断しますが、自然を相手にした、とても難しい判断となるため、苦労しています。
この資格がないと、何もできない。何も守れない。逆を言えば、人の生活や命を守るためにこの資格があると、強く実感するようになりましたし、自分自身も守ってくれると考えるようになりました。電気工事士という資格は、財産であり、私の身体の一部になっています。
震災後、地域の方々からの私たちの仕事に対する理解が深まり、今まで以上に優しく接してくれるようになりました。感謝の言葉はとても嬉しいですし、以前にも増して、電気工事の仕事を通じて地域貢献できていると実感するようになりました。
それは家族の存在です。私には小さい子供もいるので、家族で不自由のない生活がしたい。これは地域の方々に対しても同じ思いで、一刻でも早く、皆さんが不自由のない生活ができるようにしてあげたい。この思いこそが、私を支えるモチベーションです。
震災を経験し、改めて、今まで当たり前だったことが、当たり前ではないと痛感しました。
普段、電気は当たり前のように使えていますが、当たり前ではない状況に陥った場合、元に戻すためには、資格を持つ者が作業しなければなりません。資格を持つ人が増えれば、作業で動ける人も増えて、復旧速度も上がります。
私は東日本大震災の時も東北へ復旧支援に行きましたが、数え切れない方々から「電気屋さんありがとう」と言われましたし、電気工事は、生活に密着しながら社会貢献ができる素晴らしい仕事です。
天災は予想ができません。いざという時、資格を持つ仲間が一人でも多くいてくれたらと思いますし、協力して作業できる仲間が一人でも増えてくれたらとても嬉しいですね。
-あとがき-
緊急時に仕事と家族のどちらをとるか、大宮さんはそれを語る時も葛藤する表情を浮かべ、その選択がとても辛かったと、声を絞り出すようにお話をしてくれました。
当たり前のことが当たり前でなくなった時、そこに居るすべての人が被災者であることを、本当の意味で、私は理解できていなかったと痛感しました。
大宮さんにお話を伺い、被災者として葛藤を抱えながらも、懸命に復旧作業に尽力している方々を知り、大宮さんをはじめ、復旧作業をされている全ての方々に、私は深い感謝と尊敬の念を抱きました。
記事執筆:広報:井村秀誠