周りに支えられ獲得した金賞
練習を楽しいものにしてくれた
東陽電気工事株式会社 工事部
JAPAN e SKILL LADY'S CHAMPION
- 第二種電気工事士(2022年度)
※内容は2025年1月時点のものです
「JAPAN e SKILL LADY'S CHAMPION」
電気工事技能競技全国大会・女子の部で金賞を受賞した選手に与えられる名誉ある称号。
入社2年目の近藤さんは、第5回の全国大会で金賞と国土交通大臣賞を受賞し、その称号を獲得します。
卓越したスキルを持つ近藤さんですが、高校では商業系のコースで、電気の専門的な教育は受けていません。また、第二種電気工事士試験に合格したのは高校3年生の時でした。
それでも近藤さんは、高校卒業後、僅か2年で金賞を受賞するまでに技能スキルを磨き上げます。
今回は、近藤さんが電気の世界を知る「きっかけ」から、見事に金賞を受賞するまでの道のりを伺っていきます。
法令に基づき工事の運営を行う現場代理人の指示に従って、公共施設などの電気工事をしています。他に徐々にですが、書類作成など、バックヤード業務も携わるようになりました。
私は、高校では情報ビジネス科で商業系の勉強をしていました。全く電気の世界とは縁がなかったのですが、当時の部活の顧問の先生から電気工事士について紹介されたのが、この世界を知ったきっかけです。
当時の私は、とにかく何かに一生懸命チャレンジしたいという気持ちが強くありました。そのタイミングで、顧問の先生が教えてくれた電気の世界の内容はとても魅力的で、私がこの世界に一歩踏み出す原動力になりました。
そして、電気科の生徒と高校生向けの電気工事士体験授業に参加したのですが、盤結線や金属管曲げ、配線など、実際の作業がとても楽しく、自分で配線をして実際に照明が点灯した時は、言い表せないくらいに感動しました。自分がやりたい仕事は電気工事士だと強く自覚した瞬間でもありました。
学校では商業系の勉強だけでしたので、戸惑いはありました。でも電気工事士として仕事をしたいという気持ちが強く走り出していたので、資格取得に向けて集中できるようになりました。
学科試験の勉強は、完全に独学で、自分なりのやり方で勉強しました。技能試験は、放課後、電気工事士の資格取得を目指す電子科の生徒と一緒に練習をさせてもらいました。作業の進め方や効率的な工具の使い方、具体的な欠陥のポイントなどは、その時に教わりました。他には工具メーカーの動画サイトに技能試験の解説動画があったので、それを活用して勉強していました。
会社には自社の「研修棟」があり、入社後はその研修棟で研修を受けました。高校の時の体験授業がこの研修棟だったので、安心して取り組めました。研修棟での課程が終わった後、つくばの関連会社で更に1ヵ月間、研修を受けました。つくばの研修は、研修棟では経験できない内容でしたので、その時に得た知識と経験は、とても大きな財産です。
しっかりとした実践的な研修のおかげで、実際の現場に出ても緊張はしましたが、不安になることはなかったです。
青年技能者の各職種技能レベル日本一を競う「技能五輪」という大会があるのですが、その大会の電工職種の部門で同期が出場することになり、私も何かの大会に出てみたいと思うようになりました。そのタイミングで会社から技能競技大会に出場してみないかと打診されたので、「やります!」と即答しました(笑)
出場が決まってからは、研修棟で7ヵ月間、練習に明け暮れました。大会では制限時間内に作品を完成させる必要があるのですが、練習中、どうしてもタイムが思うように縮まらない状況になり、自分の力のなさを痛感して、落ち込みました。そんな時、社員の皆さんが「そんなに肩に力を入れなくていい、もっと楽しんで!」と言ってくれたので、気持ちを切り替えて練習を続けることができました。最後は、楽しかった記憶しかありません。
練習では、作品を100回以上も作り上げましたし、精神的に追い込むような練習ではなく、楽しく練習ができていたので、大会当日は、無心で作業に打ち込めました。身体が勝手に動いてくれる感じです。ただ、いつもだったら数分で終わる作業に10分くらい時間を使ってしまい、間に合わないかもしれないって思った時は、少し慌てました。
最後にボタンを押すことで完成の合図となるのですが、本当にギリギリだったと思います。後から聞いた話ですが、最後の方は顔を真っ赤にしてバタバタしていたみたいです(笑)
一番は、練習量です。その一言に尽きます。それに加えて、会社全体でのサポートです。練習環境や精神面のサポートがなければ、受賞できなかったと思います。そういう意味では、関わっていただいた皆さんと一緒に獲った賞だと思います。
会社としては、このような大会に選手を輩出した経験がなく、全く未知の領域への挑戦でした。大会に使われている材料の中には弊社で扱っていないものもあり、それらの材料発注から始まり、使い方を理解し、社員全員も未経験の中でサポートしていく。最初は戸惑いもありましたが、すぐに一体感が生まれて、最後には社員全体で、楽しみながらやっていました。会社全体で一つの目標に対しワンチームになれたことは、選手特有の孤独感に対しても良いサポートになったと思います。
また、サポートする側の社員が様々な角度から支援することで、サポートする側もされる側も、知識や技術的な部分に加えて、コミュニケーションという部分でもスキルアップに繋がりましたし、その中で各自が何かに気づいて成長できたことは、個々の社員はもとより、会社にとっても大きな財産になりました。
弊社では、研修棟ができるまで、人が育たず離職が止まらない状況でした。その原因を突き詰めた時、最初の課題は、教える側の人材が育っていないという状況でした。先輩社員は、それぞれの仕事に追われてしまうため、新人との意思疎通が難しくなることも多く、育成の仕方もよく判っていませんでした。
そこで、はじめに「教える側の人材を育て上げること」に着手しました。それが軌道に乗ったところで、新人育成の課題と向き合うため、令和3年に研修棟を建設、そして3ヵ月の研修で、新人が現場で活躍できるまでのスキルを習得する育成プログラムを策定しました。また、新人がすぐに動けるようになることで、早期にこの仕事に対して「やりがい」を見出してくれれば、離職を食い止めることができるという狙いもありました。