
高校サッカー全国優勝、元U世代日本代表
未経験からの挑戦

株式会社三光電氣
- 第一種電気工事士(2024年)
- 第二種電気工事士(2022年)
※内容は2024年8月時点のものです
高校サッカー全国優勝、U世代日本代表としての印象に残るゴールなど、輝かしい経歴をもった、三光電氣の青木孝太さん(以下、孝太さん)にお話を伺いました。電気工事士としての話はもちろん、サッカー選手時代の貴重なお話もしてくださいました。
聞き手:堀尾容康(電気技術者試験センター理事長)
理事長の言葉としてお聞きすると、心配だった技能試験に合格できた実感が改めてわいてきます。
普段の仕事の中での経験や先輩・同僚から教わったことをそのまま活かしたつもりです。子供の頃から特徴を観察したり、集中するのが好きなので役立ったのかもしれません。
第1種電気工事士を取得し、仕事の幅を広げて得た経験から、昨年9月より施工管理業務も担い、職人さんや現場全体のことを把握し、安全に仕事が進むようにしていきたいと思っています。一方、職人としての経験も浅いため、わからないことは職人さんに聞きながら進めていますが、自分自身さらに経験を積まなければいけないですし、人を管理・監督する立場として、経験だけでなく知識も付けていかないと周りも納得しないと考えています。
今後は電気施工管理技士の資格を取って幅を広げていきたいと思います。
先ずは過去問です。学科試験はひたすら解いたことと、技能試験は(公表されている)候補問題を一通りできるようにしていました。両方とも、現場の休憩時間などを使い、すぐ近くにいる先生である先輩に聞くなどしていました。
特に、技能については動画や先輩の所作を見ながら効率を上げていきました。先輩から綺麗に仕上げることや、気を付けるべきポイントを教えてもらい、見栄えも意識して取り組みましたが、試験当日は時間が足らなくなりそうだったので、最後は慌ててしまいました(え?ほとんどの人がそう感じてるんですね)。
サッカー選手として27歳ごろを迎えたときに、人生を考えるようになりました。選手として長く現役でいることはカッコいいことではありますが、アルバイトすらしたことがない自分としては早めに現役選手生活に見切りをつけてセカンドキャリアにシフトすることが、その後の人生において活きてくると思い引退を決意しました。
しかし、最初の会社で営業職に就き、苦労して成果が上がるようになっても、自分の中での達成感が感じられませんでした。その中で両親からの薦めがあり、両親を安心させたい気持ちもあり、親族が経営する三光電氣に入社しました。そんなわけで僕は現場が大好きでずっとそこにいます(笑)。
自分の仕事・技の結果が見えることです。事務所の現場で照明設備を取り付け終わった時のこと、夕方の暗がりの中でスイッチを入れました。その時、建物が命をもらったように一斉に光り輝いた時、一種の感動を覚えました。今は人を動かしてスムーズに現場が回り、職人さんに「孝太、やり易かったよ」と言ってもらえると、とても嬉しいです。何より、現場全体がうまく始まって終わること、これが大事ですね。
三光電氣として、工場の改修工事、半導体工場の新築工事や電気自動車(EV)充電設備工事などが増えてきていて、とても忙しくなっています。仕事で使う技術でも電気設備業界の時流を肌で感じています。
また、職人から施工管理へポジションを広げたことで、施工を進めるための段取りや工程組みなど、新たな業務についてはまだ慣れていないので悩みながら、でも一つひとつ自分流で考えながら進めています。僕個人としては自分の感覚や考えを持つことを大事にしています。一方、多様な人たちが働く現場では僕が言葉で伝えなければいけない場面に直面します。常に知識と経験を積みながら、仲間に任せるところは任せつつ連携するようにしています。
どちらも辞めたいと思ったことはあります。共通しているのは、厳しい世界や環境のプレッシャーだと思います。限られた時間で成果を出していかなければいけません。
サッカー選手時代では活躍する人達を見ると、果たして自分はこんなに上へいけるのか、という壁にぶち当たった時に、辞めたいと思ったこともありました。ただ、やっぱり僕はサッカーが大好きで、前に進んできました。
一方、電気工事士では、あらゆる工程が複雑に関係する中で急がなければならないプレッシャーがあります。そのような中で度重なるミスに対する先輩からの叱責で迷惑をかけ過ぎてしまっていることへの不安、という思いから辞めたいと思ったこともありました。ただ、ここで辞めたら成長できない、上へはいけない、という思いから踏みとどまり現在に至ります。
サッカーは好きだから頑張れたということもあるのですが、自分の強みが明確に見えたということも大きいです。これを伸ばすと誰にも負けない、活躍できる、というビジョンが見えていました。プロの世界は異なる得意分野の人同士が集まり協力して、大きな成果を残す世界だと思います。あとは、誰にも負けたくないという強い思いも必要だと思います。
電気工事に置き換えると、「電気工事」という一言であっても実際には様々な作業があります。初めは、その中で得意な作業を見つけ、一つ一つの作業精度や効率を上げ、能力を広げ、深め、そして、視野を広げていくことが大切なのだと思います。
ジェフユナイテッド市原・千葉時代、私は練習や練習試合で結果を出していたのですが、試合に使ってもらえない期間がありました。そんな状況の私が腐らないように、個人練習をしてくれたり、面倒を見てくれたりしたコーチがいました。実はこのコーチのお陰で、ファジアーノ岡山に移籍できたのですが、その時にコーチから「お前は才能を持っているのだから、今は活躍できなくても、成長して帰ってこい。」と言われた言葉は今でも残っていますし、今でも感謝をしています。
日本代表戦では、途中出場として出るときの監督からの「流れを変えてきてくれ」、「点を取ってきてくれ」という言葉もやはり残っています。
サポーターからは言葉というよりも、平日・休日に関係なく、観に来てくれて応援してくれたこと自体がとても貴重なことで、とても感謝しています。そして、みんなで「今日の試合を勝ち取るぞ!」という思いが強まっていました。そして、そういったサポーターたちがいてくれたからこそ、フィールドに立ち続けられたのだと思います。
各国の強豪はそもそも骨格が違い、生まれ持った能力の差などもあり、とても同い年とは思えませんでした。そのような人をたくさん目にしましたし、そういう世界を知ったことは自分の財産であり、目指したいとも思っていました。
パスのタイミングやどのようなパスかなど密にコミュニケーションをとり、連携力を高めていました。そのため、練習時は積極的にコミュニケーションを取りに行っていましたし、試合中も同様です。ただ、試合中は観客の応援もあり、普通に話していてもチーム同士の声はなかなか届かないので、言葉だけでなくジェスチャーで伝えることも大切にしていました。
と話していると、周りの音が大きい工事現場でも同じことが言えるとかと思います。
高校サッカー選抜2006年inスイス
学生時代で言うと全国高校サッカー選手権大会優勝は大会を通じて印象に残っています。何より楽しかったですし、うれしさを感じながらプレーできました。中学時代からプレーしている人も多くおり、サッカーのスタイルも継続していたので、連携においてはピカイチだったと思います。チームとしても自信はありましたが、なかなかうまいこと行かず、最後の全国高校サッカー選手権大会で全国大会出場を決めて、全国大会決勝で国立競技場のピッチに立てた時は、自分たちのプレーを多くの人に見てもらいたいと思っていたので、うれしかったです。
選手として試合に出場するようになったのは、サッカーとは関係のないことがきっかけでした。学生時代、高校一年の文化祭で演劇をやった際に、誰もやりたがらない、一番セリフが多い役を引き受け、引き受けたからにはとことんやろうと。誰よりも大きい声で、何か恥ずかしさを超えて、全力でやってやろうと思いました。それを当時の山本監督の目にとまり、スター性があるなと感じてもらえたことがきっかけで、1年生ながら多く試合で使ってもらえたことにつながりました。当時は自分よりもうまい選手がいる中、試合に出ている状況でしたので、出るからには結果を出さなければという強い気持ちでいました。
プロになってからもいくつも鮮明に覚えていますが、U-19アジア選手権の準決勝サウジアラビア戦でのU-20ワールドカップ出場を決めたゴールは特に印象に残っています。途中出場する際に、監督から試合の流れを変えて来いと言われて、ピッチに送り出されたので、何とかゴールに絡みたいと思っていました。たまたまボールが来て、その時はすごいスローモーションで見えていました。シュートを打つ際、DFが足を出してくるので、股下を狙うことも頭にパっとよぎり、シュートを打ったらゴールに入っていました。
目標は何でも任せてもらえるような、私の父や先輩の職人のように一人前になることです。
アドバイスとしては、電気工事をするのであれば、第2種電気工事士はまず取得しておいた方が良いです。それがなければ、できない仕事も多くありますし、第2種電気工事士があれば仕事の幅も広がり、その分電気工事の面白さも知っていけると思います。そういう面では、この業界で第2種電気工事士を持っている新人と持っていない新人とで大きなスタートラインに差があるとも言えます。
そして、仕事の幅を広げながら、自分の強みを見つけて、伸ばしてほしいと思います。また、電気工事士はいち作業員から始まり職長、さらには施工管理へとキャリアがまだまだ続きます。電気工事を通して、コミュニケーションをとる場面が多くあるので、人としても強くなれると思います。
最近は、担い手不足から新卒でいきなり施工担当者として施工管理を行う人材が増えてきています。職種が違うのでそれでも良いのですが、職人としてしっかりと現場経験を積み、現場を理解した上で施工管理を行うことが遠回りでありながら近道だと思っています。急がば回れ、っていうんですかね。
また、視点を変えると電気工事士の資格を少しラフに捉えてもいいのではないかと感じています。例えばAIなどで職が危うくなる職種もあるかと思うのですが、電気というのは職人が活きてくるフィールドだと思っています。将来に不安がある時に、電気工事士の資格を取得していれば一つのアピールポイントにもなりますし、資格を持っていれば、職業の選択肢の一つとして電気工事関係の仕事が常に持てることとなりますしね。そして、その中で自分の強みを活かせる職・会社に巡り合えると良いと思っています。
私がサッカーを好きだったように、自分の人生は一度きりなので、楽しみながらいろんなことに挑戦すること、挑戦できる環境が整っている会社を探すことを高校生や大学生へのアドバイスとさせて頂きます。
~アフタートーク~
孝太さんがプロとして入団したジェフユナイテッド市原・千葉は、イビチャ・オシム氏が監督をしており、日本代表選手も多く在籍していました。その後、日本代表の監督に就任したことや、孝太さんが世代別日本代表に召集されたことで、指導を受けた期間は短かったそうですが、とても印象に残っているそうです。
練習を一つとっても、身体だけでなく頭をフル回転してプレーしなければいけなく、高校を卒業したばかりの孝太さんは大変苦労されたそうです。
また、オシム監督は偏見を持たず、誰とでも平等に接し、新人であった孝太さんにも、直接言葉をかけ指導をされており、怒ることも、褒めることもあったそうですが、みんながオシム監督を好きで、長く指導を受けたかったと話されていました。
世界の名将からの教えや、世界の舞台での経験を、これからの三光電氣、電気工事の世界をどのように変化させるのか楽しみです。
ちなみに、体形を維持するには有酸素運動が大事であり、工事現場は走ることは禁止されているので、工事士が痩せるというのは伝説ですねと、笑顔で雑談に応じてくださる姿も印象的でした。
孝太さん(左)と堀尾理事長(右)